2016/02/15
◇ ◇ ◇
2016年2月5日夜、娘が誕生しました。
8年待ったこの日は旦那と私が出会った記念日でした。
2004年2月5日に私と旦那は出会ったの♪
が、
待ちすぎて高齢になった故か
私の体質か
難産でした

丸2日間のマックス陣痛(寝ず食べず飲まず)、
子宮口が最終的に8cmしか開かず、
そのまま吸引分娩となりました

二日間ヒーフー言いながら病院内を歩いたお陰で
病棟の有名人となり、
出産後は恥ずかしい思いをしました。
「ようやく生まれたのね。おめでとう!」
看護士、お掃除の人、他患者の付き添い家族にまで言われる始末。
予定日超過しても陣痛が来る気配はなく、
子宮口は1cmから開かなかったのでジェルを使ったのですが、
薬が効きやすい体質の為か突然マックスから始まる陣痛でした

ジェルが日本で何に当たるのかは不明

お腹というより腰の破壊力抜群の痛みでした。
子宮口4cmに達したら無痛分娩の麻酔をしてくれるので耐えていたのですが
3cmから開かない。本当に開かない。全然開かないんです!!
2日間陣痛に耐えて破水したので見かねて4cm前に麻酔を打ってくれました。
ジェルでの陣痛で胎児の心拍数が大幅に下がれば急遽帝王切開に変更になるのですが、
娘の心拍数は110拍以下に落ちることはなく普通分娩続行となりました。
麻酔をすると嘘のように痛みは消え、
肛門を圧迫される感じだけになります。
無痛分娩万歳!
その後も私の子宮口は頑なに開かず、
子宮口8cmで分娩室へ。
8cmを10cmにするために色々切開するので
多量の血液を見てぶっ倒れたらいけないとの事で
立会い出産を予定をしていた旦那は外で待機。
せっかくサルモネラ検査(立会い出産に必要)までしたのにね~ごめんョ旦那。
助産師達のすばらしい仕事で
股付近はズタボロになりましたが
3回のいきみでスッポーンと娘誕生。
一度スポッと吸引器具が取れたんで実質は2回のいきみ。
スッポーンと生まれた娘は
カンガルーケアする事もなくどこかへ連れて行かれ(血まみれだった?)
縫合中に2,3分だけ顔を見ることが出来ただけで(←旦那も一緒に)
翌日まで手を握る事さえ出来ませんでした

陣痛初期に思った事は
私って何て弱いの~強くならなきゃ
陣痛後期に思った事は
む、む、む、む、もう無理・・・
頭が出る瞬間心の中で思った事は
もう2度とするかーっ!!!!!
生まれた瞬間出た言葉は
Ammazza !(アマッツァ)
英語のwow!みたいな意味かな?ローマ弁?
娘を見た時の言葉は
あれ~アジア人やね~
イヤ・・・もっと西洋人っぽいのかと思っていたので
イタリアの病院はすぐに自宅に戻されるのかと思っていたのに
1週間も長期入院する事になりそれに付き合った旦那はげっそりと痩せ、
娘は黄疸が出かかっていたので私より1日遅れての退院となりました。
今は旦那と二人恐々育児中です。
泣いては心配し、
泣かないと心配し、
動いては心配し、
動かないと心配し、
何がどうなっても心配々々・・・な感じ。

明日から旦那は仕事へ戻るので
私一人での育児となります。
発狂しませんように(笑)。
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